2013年6月28日金曜日

畑帰り松田久氏岐阜新聞三席

深山奥山だより 6月27日 14度 荘川地域での家族の呼び名〓世間一般から親方衆の家族を呼ぶ場合 祖父ジサマ、インキョサマ〓祖母ババサマ、オフクロサマ〓戸主ダンナサマ〓主婦アネサマ、オカッツァマ〓長男アンサマ〓 親方衆から一般農民を呼ぶ場合 祖父ヂイ、ヂーマ〓祖母バァ〓戸主トッツァ、ゴテ〓主婦カカサ、カカマ、カカ〓長男アニ〓など 今はほとんど使わなくなっているけれど、荘川民謡の中にはそのまま呼び名が残されている。

2013年6月27日木曜日

家畜も家族と一緒

深山奥山だより 6月27日13度 荘川地方では昔から直系家族、祖父母、長男夫婦、子供と同じ家屋に住み別棟又は別居するのは親方衆に限られていた。同居の奉公人には男部屋女部屋があてがわれ、食事は家族とともであった。家畜特に馬は家族とみなされ、マヤ厩は同じ家屋内にあり、大切な農耕の担い手として愛護された。正月と盆と氏神祭りには家畜にも馳走する習わしが戦前までは残っていた。牛や馬には籾、稗、大豆を混ぜて煮て与えられ、正月には鼠にさえ同じ屋根の下に棲む因縁を思い、通り穴に稗などを皿にのせて与えた。素晴らしい慣習に感動した。

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深山奥山だより 6月26日13度 夕方白川郷まで行く途中、雨上がりの御母衣ダムにさしかかった。霧が山々にかかり早い速度で上流へと流れて行く。霧の迫力に圧倒された〓胸騒ぎを覚える程の光景〓 寺山修司の詩が思い出された。 マッチする夜の海に霧深し命捨つる程の国はありや〓 間違っていたらすみません〓微かな記憶をたどって。どこかにしまい込んだ本を探してみよう〓

御母衣ダムの雨上がり

深山奥山だより 6月26日13度 夕方白川郷まで行く途中、雨上がりの御母衣ダムにさしかかった。霧が山々にかかり早い速度で上流へと流れて行く。霧の迫力に圧倒された〓胸騒ぎを覚える程の光景〓 寺山修二の詩が思い出された。 マッチする夜の海に霧深し命捨てる程の国はありや〓 間違っていたらすみません〓微かな記憶をたどって。どこかにしまい込んだ本を探してみよう〓

2013年6月25日火曜日

家族構成

深山奥山だより 6月25日13度 上白川郷旧荘川村には直系家族が多く、下白川郷白川村には大家族が多かった。下白川郷では耕地の狭い事から、稲作よりも養蚕に力を入れた。蚕飼いのためには女手が必要で重宝がられ、女たちが勝手に家を離れる事は許されなかった。未婚の女が私生児を産んでも手間がふえたといって、家族の多くなることを喜んだ。大家族制の由来と言える。一方上白川郷荘川では寒冷地のため養蚕より焼畑耕作が盛んだった。そのために女手間より男手間を喜ぶ風があった。それぞれの生活事情によって発生する家族構成〓全てに意味がある事をあらためて感じた。

2013年6月24日月曜日

駆ける〓松田久氏岐阜新聞二席

深山奥山だより 6月24日13度 焼畑〓ナギとも云い、前年秋雑木を伐り払って翌春まで乾燥させる。伐り倒した木は枝先を山の上の方に向ける、焼いた時の灰がどれだけでも高いところに残るように、又雨などで土が流れるのを防ぐためである。楢の木は薪にするため火入れ前に伐り、春木棚に積む。栗の木はどんなに大木でも、おしげもなく伐り倒し焼き払った。何十町歩という広い山の斜面を焼き払うには、その周囲に幅二メートルから三メートルの防火線を伐って延焼を防がねばならない。火入れは山の上の方から下に向かって焼いてゆく。下から焼くと火が上走りして十分に焼けない。わずかな耕地、しかも高冷地では食料を米にたよる事ができなかった。雑穀を作る焼畑耕作だけが人々の食生活を支えてきた。大変な人手と労力がここでも必要とされる。結いの助け合いは今と違って日常茶飯事〓

童笠は佃真弓氏の作品

深山奥山だより 6月23日10度 明治のはじめ、チョウセンベェ朝鮮稗が村へ入ってきて盛んに作られるようになった。シコクビエ、コウボウビエとも云う。由来は豊臣秀吉の朝鮮出兵のおり、兵士の草鞋の裏に付いて日本に渡った稗が四国から全国に広がった。との説がある。 収量が普通の稗の二倍もあるので、シンショウナオシ身上直し又は粉にひいて食べると普通の稗より美味しいので子育て稗、子宝稗などとも呼んだ〓村史下巻より〓 今は作られなくなり、貴重な稗として荘川の特産品になればと思う〓

2013年6月23日日曜日

富士山の世界遺産決まる

深山奥山だより 6月22日11度 富士山の世界遺産登録決定〓素直に喜べる環境保全を祈りたい。何年か前に自然の水の流れによって富士山の形に削られた石。昭和27年頃初任給をはたいて買い求めたものと云われ、知人から譲り受けた。自然のなせる技に感動する。鑑定団に出したらどうなるのかな〓と密かに楽しんでいる。

夏至の頃ささゆりが咲き始める

深山奥山だより 6月21日14度 今日は夏至。荘川の中でもインターより上流の高山側は気温が低く中でも六厩は本州一寒い地域。又下流の白川側は暖かく米どころ。式部の庵辺りの一色地区は、やはり寒冷地で田と云えば雑穀が主だった。ほとんどヒエが多く焼き畑耕作。沢山の人手と労力がいる。主食は稗飯ヘェノメシ、脱穀した稗の実を一昼夜水に浸し大きい蒸釜で蒸す。それをムシロに広げて天日で乾かす。乾いたものをカラウスにかけてつき、ふるいにかけて糠と実をふりわけそれを大鍋に入れて炊く。一家の主婦は降っても照っても毎日稗をかつぎ、谷川の上流にしかけられたカラウス小屋へ通わなければならなかった。大勢の食事を賄うだけでも主婦にとっては過重労働だった。稗はすぐ空腹になるので一日何度も食べた。夏至は特に労働時間が長くて大変だったろう。これから少しずつ日が短くなり、ささゆりが咲く頃でもある。

2013年6月22日土曜日

風船かずらを植えた

深山奥山だより 6月20日14度 恵みの雨と云いたいけれど、各地で被害も出ている〓雨土くれを砕かず吹く風枝を鳴らさず〓との言葉通りにいかないものか。風船かずらの苗を植えた。種は球形で黒い中に白くハートの形の柄がある。お猿の顔にも見える。なんとも愛らしい〓今年も種をとってあちこちにさしあげ鉢にも沢山植えた。玄関横に置いた鉢はいつも可憐な緑の風船をつけてゆらゆらとお客様に手招きしている〓

2013年6月21日金曜日

米どころ

深山奥山だより 6月19日15度 村史続巻より〓 中畑には新田あらた洞山があり、新田谷の水で開田された。西向の棚田は海上、赤谷に次ぐ穀倉地だった。荘川民謡の千本づきに〓新田中畑の若い衆にゃほれぬ、四反五反の田に迷うた〓と唄われた。中畑の旧家には、宮田、寺田など神仏に関わる苗字があり、森田、中田、吉田、岩田、田中、田口など田の字のつく姓が多く、昔から水田が広がっていたことが察せられる。今は休耕田が多くなって米づくりは衰退した〓とある。近年若い世代経営の穀物やができて今は蕎麦、麦などの雑穀が美しい景観を作っている。

2013年6月20日木曜日

ちょうせんびえ

深山奥山だより 6月18日17度 荘川の伝統食の一つにあけび餅がある。チョウセンビエ、シコクビエ、コダカラビエ、アカビエなどの名で呼ばれる。そのヒエで造った団子をあけび餅と云う。あずき色をした実を粉にして、半円系の形にまとめる。中に手作りあんこを詰めて蒸すと色、形がちょうどあけびに似ているのでその名がついている。このチョウセンビエは今では全国でもめずらしいヒエで、荘川でも一人の今は亡きおばあちゃんが、昔母親から譲り受けて作り続けた貴重なヒエで全国から種を分けてほしいとたずねてみえる程だ。私達地域興しグループでも伝統食の掘り起こしとしてこのあけび餅をおばあちゃん達に習い、ふるさと祭りなどで紹介販売させていただいた。昔懐かしい味と云われ毎年楽しみに買い求めにみえた。とても素朴な味が評判だった。又種継ぎのため実から育てて秋には収穫もした。なんとか荘川のお土産になればと願っている。その時は亡きおばあちゃんの名を商品名にと考えている〓

宝物の自転車

深山奥山だより 6月17日18度 荘川村は明治8年2月8日に白川郷から分割して誕生した。以来130年の歴史を刻む事となる。平成17年2月1日より高山市荘川町として新しい歩みを始める。さまざまな歴史が大切な思い出として、それぞれの胸に刻まれている〓市町村合併を翌年に控えた平成16年10月〓荘川村最後のふるさと祭りは餅投げの景品も奮発して折り畳み式自転車30台〓赤 黒 黄 ワインの4色。一ヶ月前親戚の叔父親子が沢山の自転車を組み立てていた。そんなに沢山どうするの〓と聞くとふるさと祭りの一等の景品だと云う。私はこの黄色い自転車を必ず戴きます〓と宣言した。叔父さんはフフフと笑っていた。当日は伝統食のあけび餅販売のため会場にいた。いよいよ最後の大イベント餅投げが始まる〓最後列に構えて待っていたらコロコロと二つ足元にころがってきた。すかさず拾った一つに20の数字が書いてある〓なんとその番号が自転車でしかも黄色
が当たってしまった〓この時の興奮は今でも鮮明に思い出す。一念のなせる技か〓壇上に上がって幸せの黄色い自転車を受け取り、風を切って場内を駆け戻った〓

2013年6月17日月曜日

豆腐とどぶ汁造り

深山奥山だより 6月16日15度 何年か前の公民館大学〓やはり寺河戸公民館で豆腐とどぶ汁を造った。大豆を石臼でゴロゴロと時間をかけて挽いた。みんなで代わる代わる楽しみながら習いながら挽いた。豆腐は美味しくできたけれど、どぶ汁は煮上げた大豆のすりたて汁ににがりを入れた。しばらくすると透き通った水分とすりたての白い固まりが分離して二層になった。本来のどぶ汁は分離しないで白くどろりんとしている。白川郷どぶろく祭りに振る舞われるどぶろくに似ている。そこから名前もついたようだ。二層どぶ汁と本来のどぶ汁と食べ比べもできてかえって良かった。どちらが美味しいか〓先人の知恵には脱帽〓やはりどぶ汁はどろりん汁が美味しい。

2013年6月16日日曜日

岐阜大学公民館大学

深山奥山だより 6月15日18度 今年も岐阜大学農学部の学生さんが公民館大学の一環として荘川に見えた。寺河戸公民館に泊まって楽しい合宿。毎年荘川の歴史や生活、郷土料理など村史で予習し、研究発表をされる。荘川町の人達より荘川の事に詳しいかも知れない。頭が下がる。昨夜は荘川で穫れた蕎麦で手打ち蕎麦を〓自分達の打った蕎麦は又格別な味。その後それぞれの班に分かれての研究発表〓山中峠に自生している水芭蕉が絶滅の危機に〓何が原因かを赤外線カメラで調べる。その映像も見せていただいた。暗がりに映し出されたのは近年急激に増えている日本鹿がほとんど。イノシシ、時にはバケツとシャベルを持った人と車も〓電柵をしてからは順調に水芭蕉が増えてきている。先生と学生さん達の成果が現れてきて嬉しい〓 ラジコンにカメラを搭載して山中峠を上空から映したビデオ映像も見せていただいた。貴重な映像に感動した。環境問題に取り組む大切さをあらためて感じた〓日頃自分にできるささやかな事から始めよう。

2013年6月14日金曜日

じっくり時間をかけて熟成

深山奥山だより 6月14日18度 一気に夏になったようだ。荘川でも暑いと感じるこの頃少し変だなと思う。山菜も姫竹は急に伸びて固くなり、えどぶきも虫が入って固くなる。あらゆるものが時間をかけてゆっくり熟成する方がいい。あらゆる困難に耐えて苦労して成長する山菜の美味しさは格別〓春は三寒四温、秋には霜に打たれて鮮やかになる紅葉のように。私もあらゆる困難を乗り越えて美味しい熟女になりたいけれど、修行不足で一歩進んで三歩後退している。絵〓焔仁氏作品から〓

えどふき

深山奥山だより 6月13日13度 今年もえどぶきが食べごろになり、式部の庵玄関にて売り出した。 少し柔らかくなるまで茹で、皮をむく。山ふきと違ってあくがないのでそのまま味付けする。荘川では身欠きにしんと一緒に煮染めるのが定番。この頃になると八百屋さんの店先にもにしんが並ぶ。他に塩コショウで味付けする油炒めも美味しい。砂糖をまぶして造る蕗菓子もある。北海道ふうき、秋田ぶうきがあるように、蝦夷ぶき〓がえどぶきになったのかもしれない。北海道のふきは人が雨宿りできる程の大きなふきの葉だと聞いた。白ぶうきと赤ぶうきがあり、白ぶうきは柔らかくて重宝される。

2013年6月13日木曜日

天秤座

深山奥山だより 6月12日15度 星空案内より〓 宵空にてんびん座が見えているが、星空神話では、西隣りの正義の女神アストラエ〓おとめ座が人間の正邪をはかるために使った天秤とされる。土星が近くに見える〓とある。自身の心の中にある秤の針が問題。今日針はどこにふれていたか〓

2013年6月11日火曜日

懐かしい吊り橋

深山奥山だより 6月11日13度 昔懐かしい吊り橋に行ってみた。御母衣ダム境牛丸地区のジュラ紀化石公園側にある吊り橋。今は新しく架け変えられているけれど風景は当時のまま。20代の頃喫茶店をしていて常連仲間6名の方と閉店後吊り橋に出かけた。誰が口説き上手か1人残して後の5名が150メートル程の長い橋をマラソンする。その間ゆらゆら揺れる橋の袂で、光栄にも代わる代わる口説き節を聞かせて頂いた。今思うとなんて素敵な青春の1ページ〓その後みんなで橋の真ん中に横並びしてお酒を酌み交わし、朝日はどのあたりから昇るかなど、ワイワイとたわいのない話をした楽しい思い出〓吊り橋に立つとその時の笑い声が山々にこだまする。今はそれぞれの道を行く〓うん十年前の若者達〓

2013年6月10日月曜日

雀の巣盛り沢山

深山奥山だより 6月10日6度 二階部屋の窓近くで毎朝4時頃になるとツバメと雀が元気いっぱいさえずり始める。築25年になるけれどこんなに雀の鳴き声を聞いた事がない。雀の姿もよく見かける。逆に雀がいなくなった〓と云う方もいる。エサとなる虫などの関係か〓よくわからない。義父が草刈りをした干し草を沢山くわえてきて巣造りをしている。その量が凄い〓盛り沢山だ。そんなにくわえて来てどうするの〓と云いたい。卵をいくつ産むつもり〓ニャンコ達がいる中で本当に人生は闘いだ〓

2013年6月9日日曜日

ブルーサイドオブロンサムウイズヨシエサカモト

深山奥山だより 6月8日7度 今日は旧暦4月の晦日。卯月は旧暦4月の和名。由来は卯の花が咲く頃だからとするのが定説。卯の花の匂う垣根にと唱歌にあるように夏の到来を知る。旧暦の話より〓卯の花のピンクとやまぼうしの白が今美しい。やまぼうしの花の下でブルーサイドオブロンサムウイズヨシエサカモトのブルーグラスの曲がとっても素敵で聴き惚れた〓

2013年6月8日土曜日

北陸ブルーグラスフェスティバル

深山奥山だより 6月8日6度 富山県城端市桜ヶ池公園 自遊の森で毎年ブルーグラスフェスティバルが行われる。野外のステージで満開のやまぼうしの花をながめながら、全国からブルーグラス音楽愛好家の人たちが集って楽しい一時を共に過ごす。元気な団塊世代の人達が多い。カーボイハットを被りカントリーウエスタンの雰囲気いっぱいの会場は、昔懐かしい香りがする。

鳴子ゆりが楽しみ

深山奥山だより 6月7日9度 初夏の花が次々と咲いてきた〓鳴子ゆりが満開になる頃、山々は新緑の緑一色になる。せみが鳴き始め、田圃には蛍が舞うようになる。今年は山ぼうしの白い花もたくさんついて美しい季節を迎える〓

2013年6月6日木曜日

藤の花が咲いた

深山奥山だより 6月6日12度 何年か前の母の日に、ピンクがかった藤の花を贈った。その年は綺麗に咲いたけれど、明くる年は花芽がつかなかった。以来藤の花の事はすっかり忘れていた。義父が鉢から裏山の桧の傍に植えていたらしい。それが今年突然艶やかな姿を現した〓蝦夷ぶきが採り頃になったのを見に行って義母が見つけた。藤の花〓みんなに支えられて、たわわの花と共に感謝の言葉を伝えてくれた〓

2013年6月5日水曜日

代掻き唄

深山奥山だより 6月5日7度 朝はひんやりした空気で少し走るとちょうど心地良い。荘川の里に三島家がある。玄関が二つあり、一般用と、もう一つ玄関の間と言う代官が高山陣屋から出向いて入られる、敷居の高い玄関だ。大岡越前の守が裁きを下す時の光景によく似た造りで、村人がその前を通る時は必ず脱帽して頭を下げて通ったものだと古老の方が話された。代掻き唄にこんな唄がある〓 馬にのる人大名とおしゃりゃ夏の草刈みな大名〓二本差しめがさむらいなれば牛の頭もさむらいか〓とのさ灯心百姓は油しぼりあげらる消えるまで〓代掻き唄にたくましい庶民の心が躍っている。

2013年6月4日火曜日

荘川の手毬唄

深山奥山だより 6月4日9度 荘川に伝わる手毬唄がある〓いずいずのいずこめの番頭さん、木綿は一反いくらだね三百三十三匁、もちとまからかちゃからほい、ひいやふうやみいやようや、よんよんざくらに千本ざくら、すずめが三羽とまって、一羽のすずめは嫁入りなーさる、二羽のすずめは婿入りなーさる、三羽のすずめははとにおわれて、ちょっとなきちょっとなき、あれーやぼんぽんこれやぽんぽん、ぽんとふくれたてんまりをてんまりを、二階にあがっててんまりつくのは、お正月ーお正月ーおやかくし〓毬を手にとってかくす〓手毬唄にはどんな意味が込められているのだろう〓

2013年6月3日月曜日

雀のお宿

深山奥山だより 6月3日8度 今年もつばめと雀が巣をかけた。カラスからヒナを守るためか、人の出入りする所に巣造りするらしい。今年は更に近く式部の庵玄関真上に造った。毎日ヒナの鳴き声がチュルッチュルッと聞こえて可愛い。親雀が様子を伺っている。代わる代わるエサを一生懸命運んでいる〓玄関に立っていても平気で頭をかすめて巣の中に入って行く。さすがにニャンコ達にだけは警戒音を発して騒ぎたてている。

2013年6月2日日曜日

勘左衛門著白川奇談より

深山奥山だより 6月2日11度 三嶋勘左衛門著 白川奇談より〓 夫より一里ばかり過て平瀬村、此平瀬村はづれへ大白川の流出る、水上七八里、白山より流落る所也、此山奥に温泉ありて入湯する者多し、頭痛せん気ひせんに妙なりと云、夏は入湯する者多し、大白川の川奥白水が滝は高き事三百六十間銚子口八間、落る水は半ば白濁りにして米炊く水の如し、白川の名は是より発るなるべし〓とある。白川の名前の由来初めて知る。

2013年6月1日土曜日

寒ざらし蕎麦の解禁

深山奥山だより 6月1日12度 いよいよ寒ざらしそばが解禁になった〓荘川町内5軒の蕎麦店で一斉に今日から限定3000食が販売される。寒ざらしそばは、凍みにさらされる事でアミノ酸が糖分に変わる性質を利用したもの。大寒一月二十日に玄蕎麦300キログラム、約3000食を庄川の源流の魚帰りの滝水温2度に二十日間浸す。その後氷点下20度近い寒風に約一ヶ月間さらす事で、甘みの強い腰のあるそばに変化する。気温の低い荘川ならではの一手間も二手間もかけた蕎麦。香りより腰を楽しむ蕎麦でもある。もっちり感が人気の秘密。式部の庵では十割蕎麦本来の香り高い味わいとそばの甘みと腰を楽しむ寒ざらしそばの食べ比べも限定で販売している。荘川の里ではふるさと橋から見下ろすと梅花藻の白い小さな花がちらほら咲き始めているのが見える。こちらも是非足を運んで頂きたい〓