2013年11月30日土曜日

ここは源氏に縁りの里

深山奥山だより 11月29日マイナス7度 一番の冷え〓一日雪が舞う。荘川村史より〓草分け百姓を隠田百姓などとも呼ぶが、これは戦国の世において落武者が従者とともに山中の谷あいに分け入って、そこで伐り開いた所謂隠田に由来する。白川郷はむかし平家の落武者が住み着いて開いたと伝えられているが、そういう人々もあったとしても、むしろ源氏や公家などに縁りのある都の落人が多かったのではないかと思われる。例えば牧ヶ野村〓現在の一色地区内の故石久之丞唯乗ふるいしきゅうのじょうただのり、橋詰与八郎光堯はしずめよはちろうみつたか、海上村の千葉小次郎成正ちばこじろうなりまさ、一色村の三島太郎左衛門正厳みしまたろざえもんまさなり、牧戸村の川尻勘平かわじりかんべいなどいずれも源氏に縁りある人々であった〓とある。一色スキー場手前の橋詰川畔にも源氏縁りの落武者が移り住んでいた。

2013年11月29日金曜日

草分け

深山奥山だより 11月28日マイナス1度 朝より気温が下がって雪になる。かって一色地区にスキー場があった。家庭的な雰囲気で長年リピーターの家族連れも多く閉鎖された時は多くの方々から惜しまれた。このスキー場辺りは昔最初に人が住み着いた所だった。草分けの歴史が息づいている。

2013年11月26日火曜日

牧戸地区の山々にダムからの霧

深山奥山だより 11月27日0度 御母衣ダムからの霧で牧戸より白川郷方面は霧がよく立ちこめる。霜があまり来ないのはそのためだと言う。霧が流れ込んでいる辺り牛丸地区境の山に、向牧戸城がある。川を挟んだ真向かいの山にも、昨年新牧戸城址が見つかった。霧がよく立ちこめる辺りだ。テラホラと呼ばれている場所でもある。城の研究者の方の話では、古い寺を利用して城を築いたようだ。今で言うリフォーム〓その山は個人の持ち山で杉の木が植林してある。手入れが行き届いているので全国でも珍しく原型を留めていてそこに住みたい位だ〓と絶賛された。天台宗の寺があったようだと言う古老の言い伝えの話を裏付ける事になった。子供の頃お弁当を作ってもらい、よく遊びに行った山の頂上に城跡があったなんて誰も思わない。植林をした山の持ち主の今は亡き寺田さんだけが、何かがこの山にはあったと〓気づいていたかも知れない。現在は牧戸城址を守る会の勇士の方々が一生懸命に保存活動をしておられる。

一里杭

深山奥山だより 11月26日0度 一里塚は慶長見聞録によると、江戸の日本橋を起点として、三十六町を一里につもって各街道に築造させたもので、慶長九年1604年にはじめて設置された。五間四方を区切って道の両側に造り、そこには榎を植えた。飛騨では長谷川忠崇代官が四方の街道に里程を記した石柱を路傍に建てた。これを一里杭と呼んだ。荘川内三尾河地区から寺河戸御番所へ行く途中に一里杭の跡があり、今そこにさわらの大樹が残っていてその根本に地蔵尊が祀られている。銘に宝歴暦二年九月願主三十郎とあり、この地蔵尊はもとダナ山のジョウネンジ畑にあったものと伝えられている。村史より〓一里杭は荘川ではここだけのようだ。様々な人生を往来する人々の姿を見守ってきたさわらの大樹に感謝〓

2013年11月25日月曜日

ジョウド渕は国道沿いからすぐ下

深山奥山だより 11月25日マイナス0度 ジョウド渕は荘川インターから白川郷に向かう国道沿いの新渕地区の入り口左側の坂道を川の方へ下りた所からよく見える。釣り人が車を停めて川に下りて行く釣り場でもある。深緑の水の色が名前を現している。河童が棲みついている話もなるほどと思う。

2013年11月24日日曜日

ジョウド渕

深山奥山だより 11月25日マイナス3度 長滝寺は天長五年828年平安初期に法相宗から天台宗に改められ、後一条天皇の治安元年1021年平安中期に天台別院の名を賜っている。以来寺運は隆昌に向かい、荘白川地方の住民は天台宗徒となっている。町屋地区のジョウド渕に臨む崖上の六地蔵は、かってこの地にあった天台寺院の境内にあったものであろう。地蔵菩薩は十王経にある閻魔王の本地仏で、十王堂の本尊でもあった。ジョウド渕は十王堂渕で後世浄土渕に書き換えられたものであろう。本村寺河戸の遊浄寺付近に、ミドノマエという地名がある。古老の伝えでは、ここに昔長滝寺の支院があったという。牧戸の寺洞にもまた寺屋敷らしい跡があって、天台寺院の寺跡ではないかと土地の人々は言っている。白川郷ことに荘川は白山信仰を中心とする北陸文化が北濃を経て古くから入ってきており、その影響を受けることが少なくなかった。〓荘川村史より ジョウド渕近く崖上の町屋地区には延享年間六地蔵がひっそり立っている。

朝帰りは快晴

深山奥山だより 11月23日マイナス3度 昨日は岐阜市内で一泊〓久しぶりに田舎を飛び出して都会の景色を眺めた。今朝は快晴の中、地平線から陽が昇るのを見た。いつもは山又山の間から朝陽が射して夕暮れも釣瓶落としの日が暮れる。茜色に染めて遙か地平線から昇る太陽に感動〓都会の空を眺めながら帰途に着くと気温はマイナス3度〓いつもの張りつめた空気が山あいの暮らしを彩る。

2013年11月23日土曜日

三尾河みおご地区

深山奥山だより 11月21日マイナス3度 魚帰りの滝がマスコミに取り上げられ、この三尾河地区を訪れる人達が増えている。昔三尾河村は、斐太後風土記に、三は借り字にて水尾河なるべし。水尾は水の深所なりと言えり、河は河内、河野の如く音便なるべしとあり。六厩の鳥居屋敷、寺河戸のミドノマエ、新渕のテラチ、牧戸のテラホラいずれも長滝神社もしくは長滝関係をあらわす地名である。地名の裏に歴史が託されている。

はんの木

深山奥山だより 11月20日マイナス3度 雪が少し積もった。除雪車はまだ出ないけれど。三谷のいつもの小道に一際目立つ木が立っている。近所のおばさんに聞くとはんの木だと教えてくださった。近くにはウワミズ桜の木もある。一晩ですっかり雪化粧〓今朝は山々が満開の桜山のように美しかった。

2013年11月22日金曜日

御母衣ダムは宝の宝庫

深山奥山だより 11月19日マイナス1度旧 荘川村の中野地域は昔村一番の繁華街だった。盆踊りや秋祭りなどとても楽しみだった〓と言う年輩の方々が口を揃えて懐かしがる。その故郷がダムの底に沈むとはまさに晴天の霹靂〓村一番の肥沃な土地がどうして〓死守会の人達はギリギリまで抵抗した。埋もれた歴史の数々。今となっては湖低に沈む村〓沈黙の宝庫。真実の歴史が明かされる時が来た。弱者が泣き寝入りする時代は終わった。正義が勝つ時代が到来。長いものにはまかれろの時代にはおさらばして〓勇気を持って真実の歴史を今語ろう〓

ススキを縛って干す

深山奥山だより 11月17度0度 荘川町内新淵地区殿村では、ススキを刈り束ねて干す〓にゅう〓と言う案山子のようなススキの束が立っている。ススキが枯れるとあちこちで見られる初冬の風物詩。合掌屋根の葺き替えに使われる大事な茅は、ほとんど地域の年輩の女性によって刈り取られる。干した茅は大型トラックに積まれて遠くまでも運ばれる。

寺河戸のサワラの木

深山奥山だより 11月16日マイナス3度 寺河戸地内黒谷より山中峠方面に向かう県道沿いに、旧荘川村指定天然記念物サワラの木が立っている。明治の中頃落雷のため、幹が裂けたことがあるが、樹の勢いが強く、今日まで元気に生き続けている。 直径一メートル高さ三十メートルの大木だ。旅人にとって大事な目印になっていた事だろう。

2013年11月21日木曜日

赤谷城は巨大な軍艦のよう

深山奥山だより 11月15日マイナス2度 御母衣ダム対岸落部集落の山道を白川郷方面に向かって下ると車はここまでという場所に行き着く。そこに車を置いてひたすら二時間山の斜面を歩き続ける。突如巨大な軍艦を思わせる城跡が〓とは第一発見者の田口氏の言葉。現地に再び同行させていただいてびっくり仰天〓こんな所に巨大な城跡があったとは誰も想像しない。なぜこれほどまでの城が後世まで言い伝えられなかったのか〓ミステリーな歴史があるようだ。お誘いくださった鷲見氏は白山の真実としてホームページに書き残してみえる。何故口封じされたのか〓この城は金山で栄えた古城で鷲見氏はその城主の末裔と言われる。いずれ真実の歴史が証される時も来るだろう。今は御母衣ダムの湖低に沈められた中野、赤谷、和田、秋町集落は、荘川、白川の中でも一番肥沃な土地でお米も沢山収穫された。その高台にそびえるお城〓又白川郷、清見、福井、牧戸方面に続く道を四方八方一望できる場所に城を築いた。田口氏によると高い山に築くのは古い形態。北
側は断崖絶壁、南側は建物が建っていたと見られる広さ。のろしを上げる場所などおおよそ見当がつくようだった。600人位の体制で長い歳月をかけて掘った城跡ではないかとも言われた。全てはこれからだ。闇に葬られた歴史の真実がようやく明かされる時が来たのか〓

2013年11月18日月曜日

下滝地区

深山奥山だより 11月14日2度 下滝地区に対して上滝地区があった。上滝は越前大野に隣接する尾上郷の地続きであり、上滝金山跡は牛丸地区の西、庄川を渡って上滝川を遡った谷奥で、今日もなお数カ所の廃坑跡を見ることができる。1615年慶長二十年頃上滝山が突然山抜けして、金砂を含んだ土砂が庄川に押し出し東岸牛丸村につづいた。その時山川ともに谷汰りをしたという。そのため牛丸村は砂金採取で大繁盛し、飛騨の西山の大盛りと呼んで他国まで評判になったという。野々俣字新町はかって上滝金山衆の宿舎があったところで一時は千戸の町並みが出来たという。今は野々俣神社に合祀されている金山神社は、もと上滝山上に祀られていた金山神であったという。また、六厩金山の跡である千軒平にも金山神が祀られていたが、その後その祠が六厩の三本松の根元に移され、現在の場所に又移された。

石垣はいつ頃に

深山奥山だより 11月13日マイナス7度 この秋一番の冷え込み〓一昨日夕方初雪、昨日は一日小雪の舞う日となる。スノータイヤに交換してもらう。積雪がなかったので良かった。まだ雪が積もるには早過ぎる〓雪はスキー場だけ降っていただきたい。それにしてもあの石垣は誰が積んだのか〓畑の作物をイノシシから守るために築いたものか。石垣がネットに変わり電柵に変わってもイノシシ被害は今も昔も変わらない〓

2013年11月15日金曜日

歴史の会散歩日

深山奥山だより 11月12日マイナス2度 朝9時集合荘川歴史の会現地視察日〓一色地区から郡上市鷲見地区に抜け、古道鎌倉道へと続く道を車二台で行く。今は閉鎖となっている一色スキー場を通り越して行くと、突然視界が開け〓ひの口と言う見晴らしのいい道にたどり着く。向かいの山々は栂峠、おさんばば〓うさぎ馬場、烏帽子岳、そして明宝へなどいろんな名前が上がる。勘左衛門の書いた白川奇談にも魔物の棲む山々と記されている所だ。荘川町内をあちこち見てまわり、最後に御母衣ダム方面岩瀬橋を渡った後、左の細道に入ると山手に苔むした石垣が現れる。イノシシ防御の為に築かれたものではないかとの事だった。下滝金山の場所でもある。こんな所があったとは知らなかった。荘川の住民でありながら、あまりに知らなさすぎる〓がみんなの感想。楽しい一日だった。現地視察は理屈抜きに素晴らしい。又行きたい〓

2013年11月13日水曜日

くろちゃん

深山奥山だより 11月11日マイナス1度 寒くなると猫達も居眠りする時間が多くなる。猫語の教科書によると、889年の宇多天皇の日記には、父親光孝天皇から譲り受けた真っ黒な唐猫の記述があり、これが現存するネコの記録としては日本最古のものです。宇多天皇は日記の中でネコの漆黒の容姿や動きの美しさを賞賛し、汝には私の心がわかるだろうなどと愛猫に話しかけたりしています。最近はブログに愛猫記を綴る人が大勢いますが、1100年以上も前に猫日記の先輩がいたのです。平安貴族の生活にネコが溶け込んでいたことは源氏物語や枕草紙などの記述からもわかります〓と紹介されている。くろちゃんは、容姿や動きの美しさは無いけれど、温厚で気の優しい人柄ならぬ猫柄は最高〓ドタバタと甘えた声でついて来て、愛らしい鳴き声で悩殺する。くろちゃんのルーツは唐猫だった。

2013年11月10日日曜日

月見草

深山奥山だより 11月10日8度 暖かい朝を迎えた。寒暖の差が大きくなりいつの間にか冬がやって来る。そろそろ各家々では花の鉢を中に取り込んで霜対策をしている。実家の部屋から月見草が見える。小さな黄色い花をいくつもつけて、母の見える位置にへばりついて最後の力をふりしぼっている。月見草の大好きな母の心に応えて〓どこから吹いてきたのか今年はガラス越しによく見える場所に生えた。生命は繋がっているんだと思う。

2013年11月8日金曜日

マユミの木

深山奥山だより 11月8日0度 今朝は霧が立ちこめライトを付けて走る車が多い。低気圧による大荒れの一日と天気予報〓荘川は穏やかな秋晴れが広がった。庭のマユミの木が大きくなって、愛らしい赤い実がパチンとはじけた中から顔を覗かせている。小さな苗木を十年位前に義父に手渡した。いつの間にか大きな木になり美しい実をつけている。まだまだ山々は美しい〓お客様も連日いらしてくださる。ここで誠に申し訳有りませんが、臨時休業のお知らせです。明日9日から22日まで二週間のお休みになります。大変ご迷惑をおかけ致しますがなにとぞよろしくお願い申しあげます〓勝手ながらお許しくださいますように〓ごめんなさい。

タペストリー写真ムサシ君

深山奥山だより 11月7日6度 今日は二十四節気の立冬。冬の気配が立ち始め、各地から初雪のニュースが届く時期だ。気圧配置も冬型となり、この日から立春までが本格的な冬のシーズンとなる。星のカレンダーより〓初夏の頃、えぞぶきの葉がしげる中をムサシ君がついて来た。好奇心旺盛でどこにでも探検に行く。おだてると木のてっぺんまで一っ飛び〓猿飛びサスケと名付けた方がよかったか〓早いものであれからもう立冬。そろそろ紅葉も終わりとなる。

文化展に出品したタペストリーの写真

深山奥山だより 11月6日マイナス6度 文化展に出品したスナップ写真のタペストリーの一枚は実家の二階から写した写真。毎朝軒先のツバメが窓近くの電線にとまって一休みする。決まって朝7時半頃〓それを待ちかねて撮ったもの。新緑の気持ちのいい朝だった。ツバメもきっといい気分なのだろう。

更に近ずく

深山奥山だより 11月5日0度 昨日更にそおっと近ずくと、身動きもしないでじーっとこちらを見ている。すきあらば逃げようとの緊張感が伝わってくる。少し目を離したすきに坂を駆け上って走り去った。

2013年11月7日木曜日

かもしかの子供に逢った。

深山奥山だより 11月4日マイナス2度 朝いつもの三谷でかもしかの子供に逢った。近くに住むおばさんが、よく見かけるのでハナチャンと名づけて呼んでいるという。ちょうど三年前にも大きなかもしかに出会った。どちらもカメラ目線でじっとして身動きしないけれどシャッターを切ったとたんに山の方へ走り去った。しばらくすると親が子を呼ぶのかピーピーと甲高い鳴き声がした。朝からワクワク感動のひととき〓

2013年11月6日水曜日

どぶろく特区

深山奥山だより 11月3日0度 今日も一日満員御礼〓不行き届きをお詫び申し上げます。荘川町がどぶろく特区になってから、いつでもどぶろくが手に入るようになった。各お店でも美味しいどぶろくが呑める〓荘川町牛丸地域の荘川高原カントリークラブゴルフ場上がり口に美郷館がある。その旅館のご主人が近くの施設で製造している。施設の周りには、ご主人自ら荘川桜の実生から育てた苗の若木を植えている。もみじも植えてあり、今紅葉真っ盛り〓どぶろくの味も紅葉して更に美味しい〓

2013年11月5日火曜日

紅葉連休は超満員

深山奥山だより 11月2日3度 今年の紅葉は遅くまで綺麗だ。この三連休は一番の見頃になるため大混雑のようだ。式部の庵でも一時間待ちの超満員。ご迷惑をおかけして申し訳ありません〓荘川町では2日.3日の両日文化展を開催。今年で三年目出展となる写真のタペストリー〓昨夜疲れた体にムチ打って、高山市内までデジカメの現像に走る。帰宅後着物地反物に写真を五枚貼り付けて完成〓朝一に展示してギリギリ間に合う。後は山野草天ぷらの材料調達にひとっ走り〓一日駆けずり回る。元気が取り柄の式部の庵〓

寺河戸の御番所橋

深山奥山だより 11月1日1度霜月 十一月は漬け物の季節で、長い冬籠もりにそなえて、どの家でも漬け物に忙しい。漬け物にする蕪、大根などを、谷川や用水で洗うのは女性達の仕事で菜洗いといい、水際に設けた洗い場に座って大量の菜を洗う。洗った蕪は葉のついたまま、家族の多少により数本の桶に漬け込まれた。今は少子化、核家族、減塩など漬け物も様変わりした。気軽な一夜漬けにしたり、漬けない家庭も増えた。式部の庵では、義母が、大根、赤蕪、野沢菜の長漬けや白菜、キャベツ、人参等の切り漬けを漬けてくださるので有り難い。荘川には三カ所の御番所橋がある。その一つが寺河戸の橋で、現在の郡上市明宝へと続く昔の大切な要衝の道。この谷川でも菜洗いがされたのだろうか〓

2013年11月3日日曜日

テレビの宣伝効果は大きい

深山奥山だより 10月31日1度 先日突然にCBCテレビの取材を受けた。荘川町にある魚帰りの滝の後、式部の庵に撮影隊が〓 お蕎麦のお客様もびっくり。楽しく取材を受けた。カントリーな蕎麦や〓恥ずかしいやら有り難いやら。さっそくお客様が訪ねてくださった。テレビの宣伝効果はいつでも大きい〓感謝感謝。

2013年11月2日土曜日

霜に打たれたイタドリと緑のよもぎ

深山奥山だより 10月30日1度 前日霜に打たれたイタドリが今朝は茶色く萎れている。三つ葉やよもぎ、おおはり草は凍みても又元通りに元気になる。そういえば山野草天ぷらを揚げると、イタドリ、スイバなどの酸味のある葉っぱは茶色くなる。同じ酸でもシュウ酸の多いと言われる、おおはり草は緑のままなので、食べて酸っぱい葉は変色するようだ。イタドリは、酸味を抜いて漬け物にするととても歯ごたえがあって美味しい〓