2014年4月8日火曜日

天生金山

深山奥山だより 3月16日マイナス3度 佐々氏は、四回目白川行きの帰りに白川村の北端から東への天生峠越を。今は亡き松古等さんのマイカーで天生金山へと行かれた。指さされた場所は奥飛騨横断道から、相当ひっこんだ山地にあった。いまは、とうに廃抗。あんな深いところに、戦国の世に、金山があり、鉱夫が働いていたとする。その人たちは、どこからこの奥飛騨にきて、どこで暮らし、生涯をまっとうしたのか。このあたりに集落はいまでもない。河合村と白川村の中間。この二つの村に、そんな労働力があったとは思えない。鉱夫たちは、どこからきて、どこで果てたのか。同行の児玉先生に伺うと、生きて帰れなかったかもしれませんねといわれた。恐ろしいところだ、飛騨は。私は小京都といわれる高山市に着くまで、天生金山のことが念頭を離れなかった。とある。余程の衝撃を受けられたのだろう。今は夏になると外来種の駆除作業に森林組合の人たちが汗水流している。

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