2014年4月7日月曜日

明暗を分けた。

深山奥山だより 3月15日マイナス9度 帰雲城崩落の翌日、つまり11月29日の昼頃、帰雲城のある保木脇で能興行が開催されることになっており、川尻氏信は、前夜から帰雲城に泊まった。荻町城主山下氏勝は、鳩谷から保木脇までは、三里しかないので、早朝たてば間に合う、朝たつことになっていて難を免れた。たったそれだけの偶然が、川尻と山下の暗と明を分けた。山下氏勝は、のちに尾張義直の側近に仕え、今日の名古屋城建設を家康にすすめ、飛騨の田舎武将から中央政界に雄飛する〓佐々氏は庶民らも、この天変地異には、運命の非常さを感じないではおられなかったであろう。と記している。

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