2014年5月24日土曜日

向牧戸城に連なる山々

深山奥山だより 5月23日7度 白川郷は宝の山だった。内ヶ嶋氏は、三代120年、宝の山を懐にして、戦国不在の繁栄を楽しんできた。これから、というときに、何という偶然、何という悲運、戦争ではなく、十六世紀最大の激しい地震と地震によって起こった帰雲山の山崩れで、帰雲城もろとも内ヶ嶋、白川王国は埋没したのである。日本地震資料の年表に、こうある。天正十三年十一月二十九日。山城、大和、河内、摂津、備前、三河、伊勢、尾張、美濃、飛騨、近江、越前、加賀、紀伊、讃岐。越中木船城崩ル、飛騨白川谷ニテ死者三百人、近江長浜、美濃大垣震火、余震年ヲ越エテ止マズ。この同じ地震で京都も大きな被害を受けた。三十三間堂の仏像六百余体がことごとく倒れた、と貝塚日記に記されている。まぼろしの帰雲城より〓

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