2014年3月25日火曜日

まぼろしの帰雲城

深山奥山だより 3月10日マイナス12度 何故いままであまり知られず、また、掘られなかったか。埋没したと言われる辺り、巨大な岩石が散乱し、倒木、雑木雑草のもつれている一キロ四方の現場を、どこからどう手をつけたらいいのか。とても、一人や二人でどうなるものでもない。第三の理由は単純明快。記録の不足、ゴールドについての記録である。天正十三年の災害については、多くの資料がある。地震があり、山津波があったことは多くの資料に記されている。しかし、帰雲城主であった内ヶ嶋三代の記録がほとんど存在しない。戦国時代に内ヶ嶋氏が、帰雲城にあって、金銀を含む鉱山物とどのようにかかわっていたのか。その肝心な点がはっきりしない。と当時の佐々氏は書いてみえる。

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