2013年4月30日火曜日
還天頂アーク虹
深山奥山だより 4月30日1度雨になって昨日の暖かさが嘘のよう。今日は荘川の里三島家で桜サミットが開催された。寒いながらも桜の花がちらほら咲き始めている。会場内には時ならぬストーブが置かれてはいるが寒くて寒くて〓と暖かいお蕎麦を食べていかれる。一昨年やはり不安定な空模様の朝、突然アーチ型とは逆に反り返った変わった虹を見つけた〓そして虹は太陽と反対側にかかるのに、太陽の周りを二重に囲むように出ている。だから反り返った形にみえる〓還天頂アーク虹とわかった。この珍しい虹を2000年5月3日にも見た〓昼頃ふと空を仰ぐと太陽を囲んだ二重の美しい虹がかかっていて慌ててカメラに収めた。 虹はいつも宝石箱のように心ときめく〓
2013年4月28日日曜日
インコと小雀は仲良し
深山奥山だより 4月27日0度 みぞれが降り山々には雪が積もって又寒さが戻ってきた。連休間近に控えてのこの寒さはあまり経験したことがない。異常気象なのか〓桜もまだ蕾で今咲いているのは、福寿草や 水仙、芝桜など。その中で小鳥達は春の賑わい〓インコと小雀はだんだん慣れてきて兄弟のようだった。遠野物語のカッコウとホトトギスの姉妹は、姉のカッコウが自分はまずいところを食べて、妹に美味しいところを食べさせてあげたと云う〓鳥になってガンコガンコと鳴いて飛び去った。ガンコと云うのは上質と云う意味だとある。姉のかっこうは誠実で気高く優しい心の持ち主〓上質なものを自分より妹に〓なんて美しい物語だろう。見習うべきは私たち人間。
2013年4月27日土曜日
2013年4月25日木曜日
不如帰ナイチンゲール
深山奥山だより 4月25日0度 真夜中に遠くの山でホッチョカケタカ と透き通るような声を微かに聞くことがある。うとうとしながらも〓ナイチンゲール 不如帰とつぶやく。寝静まった夜のしじまにホッチョカケタカと聞こえる声は月から流れてくるかのよう。清楚誠実、孤高、ナイチンゲール、不如帰。村史には古来日本の文学、和歌に詠われ、あやなしどり、しでのたおさ、くつてどり、うづきどり、たまむかえどり、などの名がある。しでのたおさは霊界の鳥であり、田の神であるともいう。ホトトギスのとまった枝を、蚕棚の上にのせておくとその年の養蚕がよいといわれる〓とある。
郭公カッコウと時鳥ホトトギス
深山奥山だより 4月24日5度 遠野物語に郭公かっこうと時鳥ほととぎすの物語が記されている。カッコウとホトトギスはともに、委托抱卵の鳥であるが、昔この鳥達のことを姉妹だと思って二人の間の物語を伝えている。姉のカッコウがある時、じゃがいもを掘って焼き、その外側のかたいところを自分が食べて、中の軟らかい美味しいところを妹のホトトギスに与えた。妹は姉は自分だけうまいところを食べて、まずいところを自分にくれたと思い、そのしぐさを憎んで、包丁で姉を殺してしまったところ、忽ち鳥になって〓がんこがんこ〓と鳴いて飛び去った。妹のホトトギスは、さては姉はよいところのみ私にくれたのであったかと悔恨にたえず、やがてまたこれも鳥になって〓ホウチョウカケタカ〓包丁かけた と鳴いた。
2013年4月23日火曜日
花魁おいらん草とカワラヒワ
深山奥山だより 4月23日マイナス5度 初夏から初秋にかけて美しいのは花魁草おいらん草〓夏の昼下がり、うだるような暑さにも負けず鳴く鳥がいる。花魁草を見るとその鳴き声を思い出す。ビーンビーン 〓道端の草の実を啄んでいる時には、地味な色で気が付かない。保護色なのだろうか。知らずに近くまで行って、にわかに飛び立つ鳥の羽ばたく羽の色が、黄色だった事に気が付いて初めてカワラヒワだったとわかる。なんだかその羽ばたきの黄色を見ると幸せを感じる〓カワラヒワ大好きなこの鳥を今年も見れたらいいなと思う。
2013年4月22日月曜日
裏山小洞に二重の虹が
深山奥山だより 4月22日マイナス5度 昨夕ノーヒーノーヒーと口笛を吹いているような鳴き声〓とらつぐみ〓のようだ。夜行性で確か縞か斑点かの模様がある。野火野火火の元にご用心と昔の人達はその鳴き声を聞いて火事に気をつけた〓と聞いた事がある。ノーヒーノーヒー〓カッコーカッコー〓ホッチョカケタカ〓ホーホケキョー〓デッチビンツケイツツケター〓 フィッフィッ〓とらつぐみ、かっこう、ほととぎす、うぐいす、ホオジロ、ウソ、など春は小鳥の恋の季節〓一番さえずりの賑やかな時〓じっと耳を傾けるのも 楽しい。
2013年4月21日日曜日
昨日20=?iso-2022-jp?B?GyRCRnwbKEI=?=は穀雨
深山奥山だより 4月21日マイナス1度 昨日は二十四節気の穀雨。穀物を潤す春雨の降る頃という意味で、農作業の種まきの目安になっている。菜種梅雨もこの頃の長雨〓とあるが昨日から又寒くなり今朝は雪が少し積もっていた。種まきどころではない〓まだまだコタツもストーブも冬物も必要な日々。釣り客も凍えてのんびり気分ではいられないようだ〓春が足踏みしている。
2013年4月20日土曜日
おつうちゃん
深山奥山だより 4月20日マイナス3度 何年か前の春おつうちゃんが、とらばさみに挟まれ、両手首が切れかかったまま倒れていた。どうやって自宅まで戻ってきたのか命がけだったろう。すぐ高山犬猫病院へ車を走らせた。先生はよくつながっていたな〓と云われ手術してくださった。なんとか無事につながって一週間で退院。後は自宅で傷の癒えるのを待つのみとなった。傷口を舐めないように黄色の輪を首にはめてしばらくは不自由な様子だった。手術していただいたおかげでぶらぶらの両手がつながって、以前のように早く走れるおつうちゃんの姿を見た時には本当に嬉しくて感激した〓今年も元気に走るおつうちゃんの姿が見れてよかった。
2013年4月19日金曜日
2013年4月18日木曜日
白川郷芸術祭荘川の里会場
深山奥山だより 4月18日1度 毎年秋に白川郷芸術祭と共に荘川の里芸術祭が開催される。二週間ぐらいの期間で絵画、写真、陶芸、染色、彫刻、などの作品を三島家、山下家、木下家にて展示される。ふるさと祭り、そばまつり中に合わせて開催。是非四季折々の荘川の里にお出かけください。
荘川の里
深山奥山だより 4月17日4度 荘川の里は荘川町内にあった古民家を集めて民俗資料館として見学できるようになっている。三島家始め山下家、宝蔵寺、木下家、渡辺家などいずれも歴史を物語る建物で、郡上一揆の撮影地にもなった。当時婦人会で、撮影スタッフの方々に昼食の炊き出しにカレーライスを造り提供させていただいた。とっても楽しい思い出として記憶に残っている。荘川の里はあまり知名度がなく入館者は少ないけれど、時間がいにしえのまま止まっているようでのんびりできる空間だ。暇さえあれば毎日でも出かけて、縁側に腰掛けて大好きな本をゆっくり読んだり、ボーッとして何も考えず山や川を眺めながら一日を過ごしてみたい。
2013年4月16日火曜日
荘川の里勘左衛門自刻像レプリカ
深山奥山だより 4月16日マイナス1度 荘川の里 三島家横の庭に新島で父上木甚兵衛の墓と自刻像を彫り法華経八巻を納めて供養をした後、ふるさと荘川へ無事帰郷した勘左衛門自刻像レプリカが置かれている。昭和26.27年頃新島郷土史家前田長八氏が上野図書館で飛騨史壇と言う雑誌を読んで、勘左衛門が建てた流人甚兵衛の墓が新島にあることを知った。さっそく島の青年三人の協力を得て、甚兵衛の墓を探し一ヶ月余りかかって島民墓地の片隅に、半ば砂に埋もれた墓と自刻像を発見した。飛騨高山三番町上木甚兵衛の文字が刻まれていた。昭和三十三年、東京都の史跡に指定された。近年新島村と荘川町の交流の際、新島村商工会長として荘川町を訪れてくださった前田惣四郎氏に、私も商工会女性部としてお会いする機会に恵まれた。その時、前田氏は甚兵衛さんの墓を発見した三人のうちの一人です〓と話され大変感動しご縁の深さに驚いた。そして心より感謝申し上げた。ふるさとの交流にさぞかし甚兵衛さん父子も喜んでみえる事だろうと
感激した。
感激した。
2013年4月15日月曜日
2013年4月14日日曜日
仰向けで眠るのが大好き
深山奥山だより 4月14日マイナス3度 今日は春の高山祭り〓お天気にも恵まれ、桜の開花も合わせたように咲き始めているようだ。荘川インターや 道の駅も久しぶりに賑わいをみせている。お蕎麦のお客様も今年一番の忙しさで有り難かった。この暖かさでツバメも雀もよくさえずっている。母の飼っていた子雀は眠る時仰向けで眠るのが大好きだった。するりとした母のエプロンのたるみの中に入ってお昼寝するのが日課になっていた。外の雀達もそれぞれいろんな特徴があるのだろうなと思うと楽しい〓
雀がチュンチュンと鳴いて目が覚める
深山奥山だより 4月13日マイナス6度 今朝もよく冷え込んだ。真っ先に聞こえるのは雀の鳴き声〓チュンチュンと寒い朝によく響く。何年か前、未熟児の子雀がいつまでも巣立ちできずにとうとう実家の母に飼ってもらうことになった。とってもよく慣れてかわいかった。よく遊び、お茶目な雀で特に気に入っているのは手の中で眠ること〓つかまれると喜んでじっとしていてそのまま眠ってしまう。面白い子雀だった。よく考えると遅くまで巣立ちできずにいたので、巣の中にくるまれているような心地よさを感じるのではないだろうか。懐かしい思い出が甦ってくる。
2013年4月13日土曜日
摘草を使ったほんこさま料理
深山奥山だより 4月12日 マイナス6度 荘川の伝承 童戯摘草から〓 大雪小雪彼岸までと云うが、荘川地方は春の彼岸はまだ冬の眠りからさめない。野山の息吹を感じるのは、四月も半ば過ぎである。それでも残雪の下に蕗のとうがひょっこり顔を出すころになると、女の子は摘草に夢中になったものである。よもぎ、よめな、わらび、ふきなどをとってきては母親をよろこばせる。村史より〓今では山野草は観光客が摘みにみえる。地元の人達より他県から訪れる人達に喜ばれる。地元の女の子が摘み草している光景はあまり見かけない。山野草は素晴らしい自然の恵み〓地元の若いお母さん達にこそ子供達と一緒に摘み草をしてほしいと願う。又安心して摘み草できる環境を次世代に残していかなければと思う。
2013年4月11日木曜日
かたくりの花が咲いた
深山奥山だより 4月10日0度 昨日の日にちを間違えていたので訂正してお詫びいたします〓今日も一日寒さが戻って小雪が舞う。夕方西日が射して少し暖かくなった頃母を連れて無事退院できた。インコの香鈴ちゃんがひとり留守番している家に〓ストーブがついていなくても暖かな西日のぬくもりがとっても有り難かった。香鈴ちゃんは覚えていてくれたかな〓と母が声かけると最初きょとんとした顔をしていたけれど、だんだん思い出したかのように大きな声で鳴きだした。かたくりの花が咲いて高原の貴婦人ももどってきた〓
2013年4月10日水曜日
2013年4月8日月曜日
名残雪
深山奥山だより 4月8日マイナス4度 朝表に出ると辺り一面雪化粧〓今までさんざん見てきた雪景色なのに新たな感動〓枯れ木に花が咲いたかのよう。アンデルセンの童話の世界を思い出した。実家では昔から雑貨店をしていて、荘川で唯一の娯楽のお店だった。駄菓子、パン、手作りアイスクリーム、パチンコ、レコード、貴金属八百屋、本と今思えば田舎のデパートのようだった。父は時計やメガネの修理もした。蓄音機にはいつもレコードがかけられていて村の若者達が集まり賑やかだった。大きな機械でアイスクリームも作っていてとっても美味しかった。本は少年、少女雑誌、週刊誌などに混じって文学書や童話、大衆小説などあり、私はアンデルセンやグリム童話集などに魅せられ毎月美しい表紙の絵本が送られてくるのを楽しみにしていた。古き良き昭和の世界が甦ってくる。御母衣ダム工事でにぎわっていた頃でもある。
2013年4月7日日曜日
2013年4月6日土曜日
2013年4月5日金曜日
明治44=?iso-2022-jp?B?GyRCRy8bKEI=?=からの電気スタンド
深山奥山だより 4月5日マイナス1度 ネットで調べたところ 1911年明治44年に現在の日本橋が架けられた時東京市道路元標が設置された。その後日本橋の中央にあった元標は道路改修に伴い日本橋の北西側袂に移設された。東京市道路元標にあった場所には50�四方の日本国道路元標が埋め込まれた。日本国道路元標の直上の首都高速の高架橋上にも、東京市道路元標に似せたモニュメント道路元標地点碑が設置されている。とあった〓やはりその時の記念のスタンドだった。よくぞ日本橋から遠く離れた飛騨の山奥の荘川まで来たものだ。今は玄関正面のカウンターにて、やわらかな灯りで遠くから見えたお客様をお出迎えしている。
2013年4月4日木曜日
2013年4月3日水曜日
2013年4月2日火曜日
卯月ひなさま
深山奥山だより 4月1日マイナス6度 寒さが身に沁みる〓今日から四月卯月もうすぐ一月遅れの雛節句がやってくる。飛騨の山奥ではまだ雪があり、桃の花はもとより花らしい花はない。蕗のとう、アサツキ、ねこやなぎ、が桃の花に代わる雛節句の花だ。農家の雛人形は土雛で、いろいろな人形を飾った。五色に色どった菱餅とひなさままんじゅうは、花のない季節の雛壇を華やいだものにした。その他赤飯、白酒、アサツキなどを供え、豆炒り、かや、栗などの木の実も供えられた。子供たちが連れだって、ひなさまみせてくれオゾテモそまつでも、ほめるにと呼びながら家々を廻り歩いて見物した。にぎわしい子供の来訪を心待ちにして、お供えの菓子などを分け与えた。節句の終わった晩は雛人形を片づけて、ひなさま〓あばえな〓さよならまた来年ござれといって、納屋や倉へ納める。我が家でも明日、節句餅をつく。昔のような子供達の歓声は聞こえない。
2013年4月1日月曜日
90=?iso-2022-jp?B?GyRCOlAkTiQqPUskJBsoQg==?=3 年前の誕生日
深山奥山だより 3月31日0度 実家の母が脳梗塞で入院して二週間あまり〓14日の朝7時前に行くと、母が出て来て右手がおかしいので着替えたから診療所に連れて行って〓と言う言葉が少しろれつが回らない。口元もゆがんでいる。脳梗塞かも知れない〓早く診療所へと時間外だったけれど連れて行った。すぐ先生を呼んでくださり高山日赤病院へ救急車で運ばれた。処置が早かったのでろれつも手のしびれも解消した〓後は体力をつけてリハビリで筋力をと頑張っている。93歳とはとても思えないとその回復ぶりに驚かれる〓一人で留守番をしているインコの香鈴ちゃんは毎朝夕様子を見に行く。シーンとしているのでラジオを夕方までかけている。香鈴ちゃんも飼い主の母を待っているのだろう〓幸いにも回復の見込みがある母は幸せだったが、生活習慣病を若くから見直していかなければと改めて感じた〓
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