2013年11月21日木曜日

赤谷城は巨大な軍艦のよう

深山奥山だより 11月15日マイナス2度 御母衣ダム対岸落部集落の山道を白川郷方面に向かって下ると車はここまでという場所に行き着く。そこに車を置いてひたすら二時間山の斜面を歩き続ける。突如巨大な軍艦を思わせる城跡が〓とは第一発見者の田口氏の言葉。現地に再び同行させていただいてびっくり仰天〓こんな所に巨大な城跡があったとは誰も想像しない。なぜこれほどまでの城が後世まで言い伝えられなかったのか〓ミステリーな歴史があるようだ。お誘いくださった鷲見氏は白山の真実としてホームページに書き残してみえる。何故口封じされたのか〓この城は金山で栄えた古城で鷲見氏はその城主の末裔と言われる。いずれ真実の歴史が証される時も来るだろう。今は御母衣ダムの湖低に沈められた中野、赤谷、和田、秋町集落は、荘川、白川の中でも一番肥沃な土地でお米も沢山収穫された。その高台にそびえるお城〓又白川郷、清見、福井、牧戸方面に続く道を四方八方一望できる場所に城を築いた。田口氏によると高い山に築くのは古い形態。北
側は断崖絶壁、南側は建物が建っていたと見られる広さ。のろしを上げる場所などおおよそ見当がつくようだった。600人位の体制で長い歳月をかけて掘った城跡ではないかとも言われた。全てはこれからだ。闇に葬られた歴史の真実がようやく明かされる時が来たのか〓

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