2013年11月30日土曜日

ここは源氏に縁りの里

深山奥山だより 11月29日マイナス7度 一番の冷え〓一日雪が舞う。荘川村史より〓草分け百姓を隠田百姓などとも呼ぶが、これは戦国の世において落武者が従者とともに山中の谷あいに分け入って、そこで伐り開いた所謂隠田に由来する。白川郷はむかし平家の落武者が住み着いて開いたと伝えられているが、そういう人々もあったとしても、むしろ源氏や公家などに縁りのある都の落人が多かったのではないかと思われる。例えば牧ヶ野村〓現在の一色地区内の故石久之丞唯乗ふるいしきゅうのじょうただのり、橋詰与八郎光堯はしずめよはちろうみつたか、海上村の千葉小次郎成正ちばこじろうなりまさ、一色村の三島太郎左衛門正厳みしまたろざえもんまさなり、牧戸村の川尻勘平かわじりかんべいなどいずれも源氏に縁りある人々であった〓とある。一色スキー場手前の橋詰川畔にも源氏縁りの落武者が移り住んでいた。

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