2013年12月1日日曜日

牧ヶ野道場屋敷跡

深山奥山だより 11月30日マイナス8度 さらに冷え込みが厳しい朝、一色スキー場に向かって車を走らせる。橋詰橋手前の左手に牧ヶ野道場屋敷跡がある。永治元年1141年平安末期源為義の家臣大宅七郎光俊おおやしちろうみつとしが飛騨の目代として高山市鍋山城に着任したが、故あって白川郷牧ヶ野に蟄居を命ぜられた。その徒弟橋詰与八郎光堯が随従して移り住み、橋詰川の畔に屋敷を構え代々農作をいとなんでいた。その後文安四年1447年に江州佐々木の一族多賀氏の家臣に故石久之丞なるものが、源氏に縁りのある与八郎の子孫を白川郷牧ヶ野村にたずねてここに住み着いた。その子唯乗は長じて連如の弟子となって牧ヶ野に道場を開いた。第四世友定の時天文十六年1547年同二十三年両度の白山大噴火のため白川郷一帯に大降灰があり、甚だしい凶作に見舞われた。殊に牧ヶ野は荒廃甚だしく復興の見込みがたたず、友定坊は村人を説いて濃州粟野の里へ移住して農耕に従い、数年の後故郷がようやく生色を取り戻したので、永禄九年1566
年帰郷し、河戸の奥地を切り開いて牧ヶ野の寺をここに移した。寺河戸の村名はこの時から始まったという。その後貞享三年1686年第六世雄丈の時寺号遊浄寺を許され今日に至っている。お寺の牧ヶ野さんの名字が、牧ヶ野村に由来していた事を一色地区に住んで始めて知った。歴史は足下に宝となって息づいている。

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