2013年11月26日火曜日

一里杭

深山奥山だより 11月26日0度 一里塚は慶長見聞録によると、江戸の日本橋を起点として、三十六町を一里につもって各街道に築造させたもので、慶長九年1604年にはじめて設置された。五間四方を区切って道の両側に造り、そこには榎を植えた。飛騨では長谷川忠崇代官が四方の街道に里程を記した石柱を路傍に建てた。これを一里杭と呼んだ。荘川内三尾河地区から寺河戸御番所へ行く途中に一里杭の跡があり、今そこにさわらの大樹が残っていてその根本に地蔵尊が祀られている。銘に宝歴暦二年九月願主三十郎とあり、この地蔵尊はもとダナ山のジョウネンジ畑にあったものと伝えられている。村史より〓一里杭は荘川ではここだけのようだ。様々な人生を往来する人々の姿を見守ってきたさわらの大樹に感謝〓

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