2013年5月27日月曜日

牛丸地区の田圃

深山奥山だより 5月26日8度 荘川も田植えがほぼ終わった。牛丸地区の景色も更に美しくなった。勘左衛門著白川奇談に〓中畑より二三丁行は牧戸村、夫より牛丸、此間に内ヶ嶋の古城趾あり、内ヶ嶋は西園寺大納言の末、建武の頃白川へ遠流、小鳥白川越中砥波射水の内を領し、天正のはじめ兵庫頭氏理代に帰雲へ移る〓と記されている。牧戸と牛丸の間と云えば、今話題になっている謎の牧戸城趾ではないか〓けれど講演では金森氏が築城者ではないかと考察された。その理由として本丸虎口〓出入口のこと〓を保護する馬出曲輪をもっていることだと。又廃墟後の再利用寺院を建てた可能性が高いそうだ。字名が寺洞と云うこと。又天台宗寺院があったと云う伝承から〓だと。なぜ城があったことは伝承として残っていないのか。誰も知らなかったのは何故なのか〓不思議な気がする。

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